現代のストーンサークル誕生

皆さんこんにちは。
縄文友の会の山田スイッチです。
縄文友の会の活動は、
基本的にすべて「降りて来たもの」のみを
一生懸命やる会です。
ご託宣があるわけではないのですが、
普通に暮らしているとみんな色々、
思いついちゃうじゃないですか。
「あ、思いついた!」って。
なんだか色んなことを思いついてしまいますよね。
その「思いつき」を、「なんか、降りて来た!」と
勘違いして突き進んで来たのが
われわれ縄文友の会なのです。
縄文友の会は、作家の田口ランディ氏と
コラムニストの山田スイッチが、
青森市の山中にある小牧野遺跡に向かう途中、
「私、友の会っていう響きが大好きなんですよ」
「それじゃあ、縄文友の会でもやるか!」
というたった二言の会話から2008年6月に結成されました。
最初はただ縄文遺跡でおにぎりを食べる会でした。
2008年8月、われわれは思いつきで山田スイッチ家の
自宅庭に、竪穴式住居を建てました。
2009年10月、「縄文と言えば火だろ!」と思い込んだわれわれは、
三内丸山遺跡にかがり火を8台焚いて太鼓と踊りのお祭りを開きました。
2010年9月、われわれは早くも基本に還り、小牧野遺跡で
100人でおにぎりを食べるイベントを開きました。
そして2011年......われわれは、
何も思いつかなかったのです。
震災も起こり、こんな時にわれわれが何をすべきなのか、
全くもって思いつかなかったのです。
パソコンも電気がなければただのハコ......という
虚しさも感じていました。しかし、そこに神のご託宣が降りて来たのです。
「そうだ、外ヶ浜町にストーンサークルを建てよう!!」
震災後、最後に残るのは石しかないと、思ったのです。
そして、ストーンサークルは再生の祈りを込めて造られた
巨大な装置だったのではないか...? と。
そこで招聘されたのが、石で作品を作り続けている
長野県の杉原信幸さんと、そのパートナーである詩人の山形淑華さんでした。
杉原信幸さんは、2010年に自宅庭に竪穴式住居を建設。
その建設途中で土器が出土し、その場所も遺跡であることが
わかったという不思議な経歴の持ち主です。

そして、杉原さんが建てた竪穴式住居
「墓家 竪穴式縄文遺構」の中には、彼が造った
ストーンサークルが据えられており、
その中心の石は天上からの光を受けて、きらきらと輝いていたのです。

長野県から青森県へとストーンサークルを造りに来た2人は、
2日間で北東北にある4カ所のストーンサークルを見学し、
その翌日にはストーンサークル建設のために外ヶ浜に入りし、
着いて早々に川から石を拾い始めました。


建設地は、16500年前の縄文土器が出土した
青森県外ヶ浜町の大平山元Ⅰ遺跡のすぐ側にある
大山ふるさと資料館前のグラウンドでした。
ストーンサークルはしばらくの間、
常設して頂けることとなりました。
無心になって石を拾い、石棒を立て続けるうちに
それを見ていた外ヶ浜町の方々の協力を得、
大山ふるさと資料館前に1トントラックで17往復分もの石を運び込みました。

杉原さんと山形さんにとって、
ストーンサークルを作ることは、行為としての祈りなのです。
その場に置かれた丸石は違う世界への通路であり、
石は立てることによって人の介在を意味しました。
完成したストーンサークルは、
7,700個の石を使い、まるで本物の縄文遺跡のようにも見えました。

再生を祈るように、無心に造られたストーンサークル。
立っている石は、天空に向けて
祈りを捧げているようにも見えるのでした。
<撮影 片山康夫 本郷毅史 杉原信幸>

